無事にマレーシアへ戻ってきました。
ミニバスで4時間かかるところ、6時間かかりました。やはりミニバスに乗ると、スムースにいかないようです。
マレーシアとタイの国境を越えるまでは順調だったのですが、マレーシア側に入るなり運転手のにーちゃんが、「これからバイパスするから」と言いながら、グネグネ道を暴走し始めました。それはバイパスというより、どうみてもただの周り道。時々幹線に戻っては、またローカルなグネグネ道に戻ること何度も繰り返し。酔うわ酔うわ、まさかこんな平地であれだけ車酔いするとは思いませんでした。
ですが、道中、水牛がのんびり草を食べているところを見たり、「カンポン(村)××」と入口にかかれた小さな集落を幾つも通り、牛の群れを突き抜けて走り、普通の旅行ではみられない風景も目に出来たのはよかった、とでも思わないといけません。
夫があとで言った「高速道路の料金を浮かせるために下道を通ったんだな」との推測は正しいと思いました。他の乗客はタイ人だったようですが、到着時間を2時間もオーバーしても誰も何も言いませんでした。防虫剤バス事件の時も思いましたが、タイの人は我慢強いのか、他の人のやることに干渉しないのか、、、苦情を言う文化でないことは確かです。
ミニバスはもうこりごりです。
下はハトヤイの雰囲気に似ている、バンコクのチャイナタウンにて(去年の夏の写真です)。ハトヤイで撮ったものは、これから現像に出します。
このように、ハトヤイの街もまるでバンコクのチャイナタウンかと思う様に中国色の濃い街だったのが意外です。
タイ南部では、2004年以来イスラム過激派のテロが頻発していて、このハトヤイも去年の夏にはセブンイレブンで爆発が起き、多数死傷者がでています。タイ南部=マレー系多しというイメージだったので、ここもイスラムの街かと思っていましたが、モスクは街の中心にたった一つ。イスラム教徒が押しやられているだけなのでしょうか?
そういえば、ハトヤイ滞在の最後の夜に火鍋(鍋)を食べたお店では、メニューがタイ語・中国語・英語で書かれていました。が、いざ注文しようとしても、お店のおじさんに英語が通じず四苦八苦。すると、聞くに耐えなかったのか(?)、隣のテーブルのおじさんが通訳してくれました。この親切なおじさん、あごのほくろに長い長い毛を大事に生やしていて、私はそれが気になって仕方ありませんでした。
一体、どこの国にいるのか分からなくなってしまいそうなハトヤイ滞在でした。(調べてみたら、ここは客家人の華僑・謝枢泗が100年前に建設した街なのだそうです。なるほど納得)。