無事に帰国しています! 3月ってこんなに暖かかった??と思うほどの気候ですね。 今年は早めに染めも始められます。 頭がぼーっとしているのか、昨日は電話で知らない方と話をしている時に、「ええ」と「はい」が一緒になってしまい、「へぇ」と言ってしまいました・・・ ㅤ… 今後の予定ですが、 4月 Online store オープン 5月 fog 2nd floor(下北沢)展示 6月 acorn(安曇野)展示 詳細は追ってお知らせします。 久しぶりの展示の予定にドキドキしています。。 みなさま、どうぞすてきな春をお過ごしくださいね!

暑期
だんだんと暑さがまして、マンゴーのおいしい季節になりました。 日差しは強くても、サイゴンは風があるので過ごしやすく、大気汚染もひどくありません。バンコクはこの頃になると空気がとても淀んでかすんでくるのですけれど(というか、バンコクの空気はいつも悪い・・)。 今回は短めの滞在なのに、ブラウスを8枚も持ってきました。 なのに、着ているのはこのトップ画像の2枚のカディブラウスばかり。これが一番涼しいのです。 この夏には、似ている形を予定しています。何色かに染めてみようと思いますが、白が一番扱いやすいですね(気にせず洗濯できますし)。カディはあまり手を入れず、そのまま着るのが一番だなぁ、と、この白を着ていて思います。 蓮の茎の酢漬けをみつけたので、また「Gỏi ngó sen(蓮の茎のサラダ)」を作りました。 でも、これは茎が細めでも結構硬いです。シャキシャキを通り越して、あご疲労を起こすレベルです。生の蓮の茎を買ってきて、自分で下ごしらえしたほうが食べやすいかもしれません。 たれには生の唐辛子を輪切りにして入れたほうがおいしいです(これはチリペーストつかいました)。 せっかくの蓮の茎サラダなのに、茎が下に埋もれて見えない・・。 日本に帰ったら、蓮根で代用して作ってみようと思います! 毎日通っているクライミング ジム。 後ろでお昼寝をしているのは、ジムのオーナーとスタッフです。みんなでこうして交代でお昼寝しています。暑いし、勤務時間も長いので、こうして空き時間に休んでいるのかもしれません。 のんびりしているのはジムの人だけではありません。 隣の警備員のおじさんがクライミングを見にきたり、売り子のおばさんがトイレを使いに寄ったりしています。向かいの宅配ごはん店のおじさんは、なぜか私たち親子に興味津々。私たちが行くたびにジムに来て、中をうろついています。昨日はどこかの子供のグループが来て走り回って遊んでいました。 これは自分のもので、これは人のもの、という感覚があまりないんでしょうね、のんびりしていて、気楽でうらやましい!(ちなみに、東京の某ジムでは、親が見学しに入るだけで1000円払うんですよ!)。

クラビ 続き
4年ぶりのタイは、びっくりするような物価になっていました。前回(4年前)のバンコク滞在中とくらべ、円が安いこともありますが、ものによっては倍くらいになった感覚です。 退職ビザのあるタイですが、外国人長期滞在者の生活も大変になったと聞きます。 現地の人はもっと大変でしょう。クラビ も観光客で食べていた場所でしょうに、メイン通りは閑散として、店じまいしたホテルをたくさん見かけました。 … .. こちらも地元のマーケットにて。南部なのでハトヤイ(南部の町)と同じく、イスラム系の住民がとても多いです(その割に、モスクは一つしか見かけませんでした)。カメラを向けて「撮っていい?」と聞いたら、ニッコリしてくれたお姉さんたち。肝心のチキンはボケボケです。 … … … … ラルフに会えないのは悲しいけれど、クラビ に来てみて、なぜラルフがバンコクを抜け出してこの地方へ移住したのかもわかる気がしました。開発から取り残された分、自然もまだまだ豊かですし、バンコクのような喧騒から離れ、制作に専念できるからではないでしょうか。水泳が大好きだったラルフは海が似合います。 息子もクライミングの宿題を残してきました。もっと強くなった頃、またクラビ へ連れて行かれたらいいなと勝手に思っている母です。

クラビ へ
去年亡くなった友人ラルフ。 彼の残された家族に会いに、タイのクラビ へ行ってきました。 ラルフは前々から「クラビ にロッククライミングしに来たら?」と誘ってくれていたのです。でも、この3年はコロナで動けませんでした。会えないまま、ラルフは病気で急に天に召されてしまいました。 夫にしてみれば、長年の親友を亡くし、まるで自分の一部が亡くなったかのように感じていることでしょう。残された人は、この空虚な心と共に残りの時間を過ごしていかなければならないのです。 … なのですが、せっかくクラビ にいるし、悲しんでいても何もならないので、船に乗ってロッククライミングエリアへも行ってきました。 … … … … … クラビ 滞在、次回に続きます。

大晦日
お正月の買い出しも終わり、やっと落ち着きました。飲み水の確保もできました。市場もマーケットも今日から1週間ほど閉店です。街がどんどんガラガラになっています。 息子はここ毎日のクライミングで登りすぎたらしく、腕が痛いようです。ジム通いも休み。やっと少しのんびりしています。 .. 蓮の茎のサラダ(ゴイ・ゴーセン/gỏi ngó sen)が大好きなのですが、近所で食べられるお店がありません。そのために中心地へ行くのもね・・というわけで、自分で作ってみました。 蓮の茎は市場やお店で簡単に見つかります(買っておきました)。 束になって売っていて、外見はまるでフキ(これはちょっと太めです)。中には蓮根とそっくりな穴が空いています。蓮根好きの私としては、これにも感動です。 薄皮をむき、適当に切って甘酢につけておきます。 かなり白くなります。シャキシャキです。 この蓮根の茎を細く切り、これをメインに、人参のなますや、レタスのちぎったものを混ぜます。 茹でエビと焼いた豚肉を散らし、ヌクチャムのタレ(魚醤の甘酸っぱ辛いドレッシング)を混ぜます。 ピーナツ、フライドガーリック、シュリンプクラッカーなどをトッピング(適当です)して出来上がり。 カリカリ、サクサク、酸味と甘み、ちょっと辛くて旨味もたっぷり。適当に作ってもなかなかです(写真がなくてごめんなさい)。 蓮根の茎は、細いものを甘酢につけたピクルスのようなものも売っています。これを使ってもいいかな(白すぎるのが気になりますが・・)。 … 市場にある、このチェー(ベトナムぜんざい)屋さんもおやすみです。 私の気に入っているのは、緑豆とココナツミルクのチェー。昨日行ったら閉まっていてがっくり。 .. さあて、お正月休みの間に、確定申告の準備を終わらせてしまわねば。 一番上の写真は、いつかハノイで撮ったもの。

14日目
サイゴンへ来て、あっという間の2週間。 食料の買い出しをしたり、息子をジムへ連れて行ったりで、あっという間に時間が経っていきます。これでは日本にいるのと全く変わりのない生活です。 スマホのカメラがあまりに便利なので、カメラを持ち歩かなくなりました。ですが、気持ちが新鮮なうちでないと写真を撮ろうという気持ちにならないので、今のうちに撮っておかないといけませんね。 休みの日には、ポリエステルシフォンのような、きれいな花柄やパステルカラーのワンピースを着ている若い女性たちを見かけます。ふんわりしたお袖やスカートをひらひらさせて、みんなにこやかに歩いています。 日本のように、ナチュラル系、モード系、などのようなはっきりした分類はなく、女性らしいフェミニンなおしゃれが主流のようです。 ちょうど、第二次世界大戦のあとにディオールが発表したのは、ウエストがくびれ、スカートがふんわりした女性らしい形。やっと平和が来たという嬉しさや開放感が、そのシルエットに表れていました。 ベトナムも、つらい時代を経て、経済的にどんどん成長を続け、みんなが平和を謳歌できる時代になったのですね。若い人が元気で、街も活気もあります。とても羨ましいです(と、3年ぶりだけれど、いつも思うことです。前にも書いたような気がしますが・・)。 この後、ワンワンと威嚇されました。きれいにトリミングされていて、大事にされている様子。ベトナムも平和になったなぁとここでも思います。 車のパーツをバスに持ち込んでいるおばさんがいました。前面部分かな?長さ2メートルくらいのものです。 降り口の近くに置いてあり、みんなよけて通っていました。でも、文句を言う人はいません。 公共の乗り物で、乳母車(バギーというのでしょうか?)を邪魔者扱いされたり、赤ちゃんをちょっと泣かせたたくらいで怒られる日本とは大違い!このおおらかさが本当にいいなぁ(中国やタイの地方ローカルバスでは、大きな米袋や家畜が乗っていました。が、ホーチミンは一応大都市・・)。

サイゴンより
新年あけましておめでとうございます! 皆様がご健康でお幸せな一年となりますように。 バタバタと怒涛の12月を過ごしました(最後の締めくくりは、息子の期末試験で東京へ行ってとんぼ返り)。そして、そのままバタバタと来たベトナムで新年を迎えています。 アジア圏(日本以外の)のどこでもそうですが、ベトナムでも旧正月は盛大に祝うものの、新正月はひっそりとしています。タイのようなカウントダウンの花火もないし、日本の除夜の鐘もなし。静かなお正月です。 こちらに着いてしばらくは、とりあえずホテルに滞在することにしました。 以前住んでいたアパートへ部屋を見に行ったら、知っているスタッフたちも解雇された様子。外国人がまだ戻ってきていないのか、建物の中もシーンとしていました(部屋を借りるには、空き部屋があるのはありがたいのですが・・)。近所の知っているお店も、経営者が変わっていたり、店じまいしていたり・・(3年ぶりということもありますが)。 コロナで影響を受けたのはどこも同じですね。 近所で食べたミークワン(Mì Quảng)。ベトナム中部 Quảng Nam地方のものです。 平たい米の麺に、薄めのスープ、エビ、豚肉などが入っています。ピーナツパリパリのせんべいがトッピングされていて、その上にハーブをたっぷりのせて食べます。ライムを絞り込んでチリをのせるとさらにおいしい。 いつも思うのですが、ベトナム料理には、甘み、酸味、旨み、香り、歯応えなどが一つの料理にうまく入っています。これもそう。さすがです。 … しばらくはこんな調子でベトナムからブログ更新をします。アパートへ移ってからは、また仕事再開です。 皆様、どうぞよいお正月をお過ごしくださいね!

歴史の里へ
トレーニングのために、息子を松本のジムへ定期的に連れて行っています。 待ち時間には、ジムで読書やパソコンを開いて待っていることもあります。外を快適に歩ける気候になってきたので、先日は博物館へ行ってきました。「松本市歴史の里」です(先週のことです)。 松本城の近くにあった裁判所や、野麦峠にあった宿などが敷地内に移築されています。 裁判所は、取り壊しが決まっていたものの、松本市民の反対運動があり移築が決まったそう(コストの4割を松本市民が負担したそうですよ)。広々とした明るい建物。来場者もおらず、ゆっくりみることができました。 昔の木造の学校の校舎のようですが、りっぱな玄関と高い天井はさすがに威厳があります。その天井の幾何学模様のような木の細工もすばらしい。 朱色の床は、天然の材料で作ったリノリウム。松脂や亜麻仁油(リネンのタネの油)などからできています。歩くとしっとり柔らかい。リノリウムの「リノ」は、材料の亜麻(リネン)のこと。リノリウムが天然素材とは知りませんでした! … 付属の館では、草木染めや裂織り、みすず細工のワークショップも時々開催されています。 みすず細工とは、すず竹(篠竹)使って編まれた生活用品。かつては松本の伝統工芸でした(松本のみすず細工については、下の<追記>をご覧ください)。 こちらの博物館には「歴史の里みすず細工の会」のみなさん制作のざるなどがありました。 いっときは絶えてしまった松本みすず細工。こうして有志のみなさんの力で少しずつ復活し、形になってふたたび世に出されるとは夢のようです。 私が頂いてきたのはこちらのざる。戸隠の根曲り竹のものと比べても、とても柔らかな優しい顔をしたざるです。 機械から押し出されたみな同じ形のプラスチックではなく、このように人の手の感じられるものが身の回りにあると安心します。人がひとりひとり違うように、手で作られたものはみんな違う顔をしているのです。 軽い果物や野菜を置いたり、蒸し物を食卓へあげるのになど、毎日の生活でたくさん使いたいと思います。 <追記>松本のみすず細工は、江戸時代にはすでに松本の名産として紹介されていたそうです。国内でも行李やびくなど広く流通しており、明治には外国への輸出をするほどだったよう。それが明治40年に3万個作られていたのが、大正元年には8千個まで減少し、衰退していったとのことです。材料が地元で調達できなくなると価格が上がり、国内競争に勝てなくなったそう。 昭和23年柳光悦の「手仕事の日本」出版にはじまる民藝ブームでふたたび注目されるも、昭和の終わり近くには絶滅寸前になっていたそうです。(プラスチックの手軽さには勝てなかったのですね・・) 松本で最後のみすず細工の職人さんが2009年に亡くなったあと、松本市の後援のもと、みすず細工復活事業が2011年に立ち上がりました。この「みすず細工復活プロジェクト」さんたちの作品は、松本市立博物館に置かれているそうです(松本民芸館でも目撃しました)。

夏休み
オンラインストアの片付けもそこそこに、山へ行ってきました。お盆前のプチ夏休みというところです。 場所は、長野県と山梨の県境にある秩父多摩甲斐国立公園。小川山というフリークライミングのメッカになっている山です。 長野も広いですね・・・2時間ほど車を走らせ、目の前に拡がるキャベツ畑を抜けると、そこはもう小川山のふもと。涼しいし、水は清らか。別世界です。(ちなみに、このキャベツ畑では、農家の高齢化に伴い、ベトナムからの若い研修生が労働力になっていることが知られています。久しぶりにベトナムの人をたくさん見ました)。 岩のごろごろする小川山でたっぷりクライミングを楽しみ、川では水遊びをしてきました。 クライミング用のマットレス(クラッシュパッド)を背負って山を登ったり下りたりするのは疲れたけれど、とてもいいリフレッシュに。 夜は星がとても近くにまたたいていました。カメラ持っていかなかったので、景色もこんなスマホ写真しかなく、残念。 キャンプではいつものことなのですが、一夜目はクマが心配でよく眠れないのです。 今回も同じ。山荘の入り口に「熊目撃情報ありました」と張り出してあったので、なおさらです。二夜目は寝不足と疲れでだいたいよく眠れるのです。行くなら2〜3泊で行くのがよさそうです(次はいつ行かれるかなー)。 近くに落ちている枯れ枝や木を集め、樺の枯れた樹皮を焚きつけに、子供たちが上手に焚火を始めました(火遊びは楽しい!)。緑に囲まれ、水があって、火があって、ご飯が食べられるというのは、他に何もなくてもそれだけで幸せです。山にいくというのは、自分の心を原点に戻してくれるチャンスだなと思いました。

5年前
夫のiPadのアルバムが、5年前の今頃はラオスにいたことを教えてくれたようです。 この年はバンコクで冬越しした年。ビザの更新のため、バンコクからラオスへ行ったのでした。 タイの東北部まで飛行機で飛び、ラオスの南部〜中南部をまわってから、タイへ戻る旅でした(ラオスの中南部とタイの東北部は、メコン川をはさんで接しているのです)。 私はこの直前に、バンコクの冷房(死ぬかと思うほど寒い)で体を冷やして気管支炎になってしまいまいました。そして、ラオスへの移動中に水を飲みすぎて胃を冷やし、胃腸炎にもなりました。この時以来、胃を冷やすと痛くなります。忘れられない思い出です。 トップ写真はサバナケート(サワンナケート)のカフェ。夫撮影です。ラオスにはまだインドシナの面影がなんとなく残っています。崩れかけた植民地時代の建物が街の中にぽつぽつありました。 この街にいる時はご飯が食べられずフラフラだったのです。外に出れば犬相(人相)の悪い野良犬の集団がたむろしていたことしか覚えていません。 そういえば最近、アジアの岩場(ロッククライミングエリア)の分布地図を見ていて、この時に寄ったタケークという街の外に登れる岩がたくさんあることを発見! ロッククライミングなんて超人のやることだとこの時は思っていたので、まったく興味なし。岩場のことも知りませんでした。惜しかったな・・。息子も今頃になってそれを知り、地団駄踏んでいます(笑)。 バンコクへ帰る前に、タイの北部にある藍染の街へ行ったのも、この時が初めて。もう5年も経つのかぁ・・・。 写真はいずれも 2017年1月のブログ より。ブログを読み返してみると、こんなこと書いたっけ?とすっかり忘れている自分に気がつくのでした・・ まだまだアジアへ自由に行くことはできませんが、写真を見ているうちに、行った時のことを鮮やかに思い出しました。次回はいつ行かれるのかな・・・?