レンテン族の村の人が、綿花をロール状にのしている写真がみつかりました!

残念ながら、これだけでは何のことだかわかりませんね・・。いまだったら図々しくもっと近づいて写真を撮ったり質問するんですけど・・。

レンテン族の子供たちも黒っぽい草木と藍染のジャケットがかっこいい!学校帰りのようでした。みんなもう成人しているでしょうね。

レンテン族の村をでて、ルアンナムターの街へ戻って散策したところ。この川では、お母さんたちが洗濯をしたり、子供を洗ったり・・(ラオスとはいえ、北部は朝晩寒いのです。子供が悲鳴をあげていました)。

ルアンナムターの街でみかけた、レンテン族の女性たち。とっても楽しそうです。(暴走族・・・?)

街の中の青空マーケットで毎回ご飯を食べていました。タイ北部とほとんど同じ、カオニャオ(もち米)、ソムタム(パパイヤのサラダ)、ガイヤーン(鶏のロースト)。鶏はマーケット内を放し飼い。どれも健康的(というか、タイの鶏と違ってガリガリに痩せていました)。

こちらは地元の人の胃袋になっている市場。水牛の蹄や、ネズミの山盛りを売っている写真も撮ってありました!(食材として、です)。

ルアンナムターも以来随分と変化があったようです。中国資本70%で中国ラオス鉄道の建設が2016年に始まったそうですが、それ以前から周辺の中国化はラオスでも話題になっていました(ちなみに南はベトナム化しているそうです)。国境沿いに住むラオスの人は、子供を国境越えさせて通学させると聞いたのもこの時。

ルアンナムターの後は北上して中国雲南省へ向かったのですが、その時通ったボーデン(ラオス側)といった貧しくて何もなかった国境の街も様変わりしたようです。ゴルフ場や国際商業金融センターが建ったと聞き驚きです。まあ、ラオスからタイへ続く重要な拠点ですから・・。

レンテン族の人も紡績糸を使って布を織るようになったともよく聞きますが、手仕事はどこも同じような道をたどりますね。中国側から仕事が提供されれば、外に出て働いたほうが現金収入になりますし、快適な家や便利な生活を求めるのはだれも同じ。手仕事がなくなったからとレンテン族の人を責められる私たちではありません。

(12/30追記:プランテーションを持つ大資本主へ土地を貸し出し、現金収入を求めてその農園へ働きにでかけ、糸紡ぎや織りをやめてしまった人が多いとのことも聞いていましたが、農薬の被害についてこんな記事もありました)。

この時に行っておいてよかったです。レンテン族から譲ってもらった藍染の布や服は、まだ使えずに大事に保管してあります。

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レンテン族の村へ(その1)
レンテン族の村へ(その2)