秋の染め

秋の染め

あっという間に10月になってしまいました。 過ごしやすくなってきたので、ようやく藍染めを再開しています。 秋らしい色も染めてみたいなぁ、と思いながら、昨日は玉ねぎの皮を煮出しました。何度も染め重ねるとオリーブ色になります。外で煮出すのですが、辺り一帯にスープのいい香りがするんですよ。 辛子色にも挑戦しようと思っています。石榴(ざくろ)かな、やっぱり。 … 下は、来年のブラウスの試作。 パターンの段階で何回か作り直し、薄いコットンで作ってみたらイメージがいまいち違うので作り直し・・ということをしていたら、どんどん時間が経ってしまいました。これはひとまず寝かせておきます。いつも、形が決まるまでは、マラソンを走っているみたいです。 来春用のカディも、しばらく前に注文しました(ドルが強すぎる・・・)。カウント200の繊細なカディです。ベンガルのいつもの工房です。 すぐに送ってくれるという話だったのに、なんだかずるずる先延ばしになりました。今週はドルガ・プジャ(Durga Puja)というお祭りがあるということで、また更に先になりました。やっぱり・・。 インドから送ってもらうのはいつもこんな調子なので、それを見越して半年前に発注することにしたのです。また美しいカディでブラウスを作ることができて幸せに思います。 … 最近やっと、「CALICOのインド手仕事布案内」小林史恵著(小学館)を手にすることができました。 「インドの美しい手仕事布をめぐる旅」とあります。インドのひとびとと布つくり、服つくりを続けるCALICOさんによる、インドの布という大きな森への案内です。時間をかけて職人の手で作られる布たち、その土地や職人、背景のドキュメントがぎっしり詰まっています。 私なんかインドからカディを何年も注文していますが、このような背景は現地にいる方でないと分からないこと。さぞご苦労なさっていることでしょう・・・。これはインド布への愛がないとできないことだと思います。素晴らしい。 また、一ページ読んで、著者小林史恵さんの豊かな語彙に心を打たれました。相当本を読んでいらっしゃる方だなぁ、と。「きゃー、きれい、かわいい、素敵!」ではなく、目にしたことのないものを言葉で説明するのはとても難しい。でも、小林さんの言葉には生命が宿っていると思います。 私もまだ全部読み終わっていません。雨の日にでもじっくり広げるつもりです。

歴史の里へ

歴史の里へ

トレーニングのために、息子を松本のジムへ定期的に連れて行っています。 待ち時間には、ジムで読書やパソコンを開いて待っていることもあります。外を快適に歩ける気候になってきたので、先日は博物館へ行ってきました。「松本市歴史の里」です(先週のことです)。 松本城の近くにあった裁判所や、野麦峠にあった宿などが敷地内に移築されています。 裁判所は、取り壊しが決まっていたものの、松本市民の反対運動があり移築が決まったそう(コストの4割を松本市民が負担したそうですよ)。広々とした明るい建物。来場者もおらず、ゆっくりみることができました。 昔の木造の学校の校舎のようですが、りっぱな玄関と高い天井はさすがに威厳があります。その天井の幾何学模様のような木の細工もすばらしい。 朱色の床は、天然の材料で作ったリノリウム。松脂や亜麻仁油(リネンのタネの油)などからできています。歩くとしっとり柔らかい。リノリウムの「リノ」は、材料の亜麻(リネン)のこと。リノリウムが天然素材とは知りませんでした! … 付属の館では、草木染めや裂織り、みすず細工のワークショップも時々開催されています。 みすず細工とは、すず竹(篠竹)使って編まれた生活用品。かつては松本の伝統工芸でした(松本のみすず細工については、下の<追記>をご覧ください)。 こちらの博物館には「歴史の里みすず細工の会」のみなさん制作のざるなどがありました。 いっときは絶えてしまった松本みすず細工。こうして有志のみなさんの力で少しずつ復活し、形になってふたたび世に出されるとは夢のようです。 私が頂いてきたのはこちらのざる。戸隠の根曲り竹のものと比べても、とても柔らかな優しい顔をしたざるです。 機械から押し出されたみな同じ形のプラスチックではなく、このように人の手の感じられるものが身の回りにあると安心します。人がひとりひとり違うように、手で作られたものはみんな違う顔をしているのです。 軽い果物や野菜を置いたり、蒸し物を食卓へあげるのになど、毎日の生活でたくさん使いたいと思います。 <追記>松本のみすず細工は、江戸時代にはすでに松本の名産として紹介されていたそうです。国内でも行李やびくなど広く流通しており、明治には外国への輸出をするほどだったよう。それが明治40年に3万個作られていたのが、大正元年には8千個まで減少し、衰退していったとのことです。材料が地元で調達できなくなると価格が上がり、国内競争に勝てなくなったそう。 昭和23年柳光悦の「手仕事の日本」出版にはじまる民藝ブームでふたたび注目されるも、昭和の終わり近くには絶滅寸前になっていたそうです。(プラスチックの手軽さには勝てなかったのですね・・) 松本で最後のみすず細工の職人さんが2009年に亡くなったあと、松本市の後援のもと、みすず細工復活事業が2011年に立ち上がりました。この「みすず細工復活プロジェクト」さんたちの作品は、松本市立博物館に置かれているそうです(松本民芸館でも目撃しました)。

レンテン族の村(おわり)

レンテン族の村(おわり)

レンテン族の村の人が、綿花をロール状にのしている写真がみつかりました! 残念ながら、これだけでは何のことだかわかりませんね・・。いまだったら図々しくもっと近づいて写真を撮ったり質問するんですけど・・。 レンテン族の子供たちも黒っぽい草木と藍染のジャケットがかっこいい!学校帰りのようでした。みんなもう成人しているでしょうね。 レンテン族の村をでて、ルアンナムターの街へ戻って散策したところ。この川では、お母さんたちが洗濯をしたり、子供を洗ったり・・(ラオスとはいえ、北部は朝晩寒いのです。子供が悲鳴をあげていました)。 ルアンナムターの街でみかけた、レンテン族の女性たち。とっても楽しそうです。(暴走族・・・?) 街の中の青空マーケットで毎回ご飯を食べていました。タイ北部とほとんど同じ、カオニャオ(もち米)、ソムタム(パパイヤのサラダ)、ガイヤーン(鶏のロースト)。鶏はマーケット内を放し飼い。どれも健康的(というか、タイの鶏と違ってガリガリに痩せていました)。 こちらは地元の人の胃袋になっている市場。水牛の蹄や、ネズミの山盛りを売っている写真も撮ってありました!(食材として、です)。 … ルアンナムターも以来随分と変化があったようです。中国資本70%で中国ラオス鉄道の建設が2016年に始まったそうですが、それ以前から周辺の中国化はラオスでも話題になっていました(ちなみに南はベトナム化しているそうです)。国境沿いに住むラオスの人は、子供を国境越えさせて通学させると聞いたのもこの時。 ルアンナムターの後は北上して中国雲南省へ向かったのですが、その時通ったボーデン(ラオス側)といった貧しくて何もなかった国境の街も様変わりしたようです。ゴルフ場や国際商業金融センターが建ったと聞き驚きです。まあ、ラオスからタイへ続く重要な拠点ですから・・。 レンテン族の人も紡績糸を使って布を織るようになったともよく聞きますが、手仕事はどこも同じような道をたどりますね。中国側から仕事が提供されれば、外に出て働いたほうが現金収入になりますし、快適な家や便利な生活を求めるのはだれも同じ。手仕事がなくなったからとレンテン族の人を責められる私たちではありません。 (12/30追記:プランテーションを持つ大資本主へ土地を貸し出し、現金収入を求めてその農園へ働きにでかけ、糸紡ぎや織りをやめてしまった人が多いとのことも聞いていましたが、農薬の被害についてこんな記事もありました)。 この時に行っておいてよかったです。レンテン族から譲ってもらった藍染の布や服は、まだ使えずに大事に保管してあります。 … ↓初めからご覧になりたいみなさま、こちらからどうぞ レンテン族の村へ(その1)レンテン族の村へ(その2)

レンテン族の村へ (その2)

レンテン族の村へ (その2)

前回の投稿の続きです。 ルアンナムターから歩いてレンテン族の住むナムディー村へ。 この村内では、村人が集まって、収穫した綿花を打ち、手回しの機械をつかってロール状に伸ばしていました(すみません、写真がみつかりません)。これを棒のように伸ばしたものから、少しずつ手で紡いでいる女性が上の写真です。 紙すきも盛んなようでした。竹で組んだ干し台にすいた紙をのせて乾燥させている光景もあちこちでみかけました。 レンテン族の村へ(おわり)へ続きます。

レンテン族の村へ(その1)

レンテン族の村へ(その1)

来週の天気予報をみると、予想気温がマイナス9度やマイナス10度にまで下がる日がずらりと並んでいてぞっとしています。まだ12月なのに、大寒の時期並みの気温です。 ウールが着られなくなってしまったので、コットンやシルクの重ね着でしのいでいますが、今からこんなに寒いとは。はたして私は生き残って行かれるのでしょうか・・・? 今年は冬のアジアへ行くことができないので、自分のアルバムから写真をひっくり返して探してみましたら、2012年の初めに(ということは、ほぼ9年前)ラオス北部のレンテン族の村へ行った時のものが出てきました。 この時は、タイ北部のチェンマイからバスに乗ってメコン川の国境まで行き、そこからボートで川を渡ってラオス入りしたのです。 川を越えてからは、小さなバンでガタガタでクネクネの山道を越えてラオス北部のルアンナムターへ。車の運転手が半分居眠り運転していて恐ろしかったのと、車酔いがひどくて、次回は飛行機で行こうと強く思った覚えがあります。 レンテン族の村は、ルアンナムターの市街地から数キロ離れたところにありました。トゥクトゥクを雇って向かうという手もありましたが、この時は歩いて行きました。雨季だったら、緑の田園風景が見られたのになと思った覚えがあります。(この時はまだ小さかった息子、棒きれを手に歩いているところは今と変わりません)。 村へ向かう途中、牛を連れているおばさんに遭遇。このおばさんもレンテン族ですね。 レンテン族の村(その2)へ、続きます。

ストア閉店しました

ストア閉店しました

初夏のオンラインストア、みなさまご利用どうもありがとうございました! 今日、ご注文最終日の発送を済ませました。梅雨に入ってしまったので、荷物が濡れてしまうのが一番心配なのですが(防水の袋には入っていますけれども)、なんとかそんなことも避けられました。 ご注文くださったお洋服を、みなさまに長くご愛用いただけますよう願っています! 3日間の雨降りのあとの、今日はよく晴れた一日となりました。雨の降っている時は、リネンや速乾シャツ(息子のスポーツ用)しか乾きませんね・・。雨もありがたいけど、思い切って洗濯のできるこんな晴れ間もとてもありがたいです。 今日は、まだ染めていない夏もののカディブラウスをのりぬきをしました。 もう大部分はもう染めてあるのですが、あと半分はお天気を見ながら進めます。あと二週間ほどで、夏のストアの準備も終わりそうです。 その夏のブラウスのパターンを手伝ってくださった大谷さんに、昨日は染織αという雑誌のバックナンバーをいただきました。 これが、とてもマニアックな内容!草木染めをする人として、とても勉強になる記事ばかりでした(茜特集やら、藍の地獄建てやら・・)。大谷さんに感謝です! かつては、このような本が出版されるほど、染織人口があったことに驚きます。(じつは近年の染織αを買ったことがあるのですが、薄くて広告ばかりのパンフレット的なものになっていました・・残念)。

冬の仕事とアイヌ刺繍

冬の仕事とアイヌ刺繍

アトリエは寒すぎてもう作業できないので、道具を全部自宅へ移動したことは、先日のブログにも書きました。 でもミシンはさすがに動かせません(重い!)。自宅用に職業用のポータブルを買いました。人台も持ってきました。机まわりはモノが山積みです・・。 そんな混沌とした中、来年用のパターンと試作を製作中です。 … もう二週間ほど前になりますが、四辻藍美さんのアイヌ刺繍の展示を長野市の図書館ギャラリーマゼコゼ で見てきました。 伝統的な衣から、大型のタペストリー、そして夏子さんの漉く内山和紙に刺繍したものもたくさん。見応えがありました。一つとして同じ文様がないのにも驚きました! アイヌ刺繍のワークショップも参加してきました。もう何年も行きたいと思いながら、タイミングが合わなくて行かれなかったのです。やってみたら、曲線を描きながら刺していくのが面白く、あっという間の数時間。冬の間、ステッチを忘れないように、思い出しながらやってみようと思っています。 立体的に刺繍が浮き出ているこの作品がとても気になりました。白いコーン型が山で藍色が川のように見えました。白い素材に白で刺した作品も清らかで美しく、強く心に残りました。

刺し子展

刺し子展

ちょうどクラフトフェアまつもとから一週間経ちました。ここずっと、展示で使ったものの片付けや整理整頓、そしてインドのおじさんたちと秋冬の生地の相談をやり取りしていたら、あっという間に時間が経ってしまいました。私って時間の使い方がかなり下手なようです。 さて、せっかくクラフトフェアでまつもとにいたのに、見られなかったこの刺し子展。松本民芸館まで先日行ってきました。 この上のこぎん刺し。袖部分をみると、生地は濃く藍染めされた麻であることがわかりました。自家栽培の麻に、耐久性や保温性をもとめて木綿糸で刺したと、去年こぎん刺しの本で読みましたが、このスカスカの生地の寒そうなこと。冬はさぞつらかったことでしょう・・・。 枯れたような藍の色の作業着。薄い藍で繰り返し染めたのでしょう。 こちらも藍染の布に菱刺しをした下袴。人間業とは思えないような緻密な刺し子です。 二階の常設展示室。こんな大きな梁のある建物はもう造れないでしょうね。 展示室に置いてあった薬箪笥。江戸時代のもの。左下にある「茜根」の引き出しがご覧いただけるでしょうか?五倍子は呼び名が10個ほどあるので、どれかわかりませんでした。 展示してあるものの中には、他の企画展で目にしたものもありますし、常設展はいつも同じなのです。でも、どちらにしても次に来る時には忘れています。なので、松本民芸館へ行く時はいつも新鮮な気分です。 丁寧によく作られた物、本物を見ることで、私もこれに近づけるように頑張って作ろう、という気持ちになるのです。それが重要なのだと思いながら帰ってきました。

南部女性博物館へ

南部女性博物館へ

先日、ここサイゴンにある南部女性博物館へ行ってきました。去年の晩秋に行った、ハノイにある女性博物館(アオイムを探して)の分館。女性にまつわるベトナムの歴史を展示しています。 まずはアオザイの歴史室から。 グエン朝(ベトナム中部・フエの王朝 1802~1945年)のアオザイは、中国服そのもの。シルク地に龍や花の刺繍がしてあり、ラストエンペラーにでてくる清朝の衣装のよう(下の写真・一番右の青地のもの)。 19世紀末のアオザイ(下の写真・一番左と中央)は、4部式と5部式。まるできもののようにゆったりとしたはおり式の服になっています。 1930年代、その頃の西洋化のトレンドに沿って、レ・フォーという芸術家がアオザイを再構築し、丈が短く細身の今のアオザイに近い形になったそうです。下のモノクロ写真は1930年代の女性の姿。 下の写真は、左が20世紀初頭の結婚衣装、右が1960年代の結婚衣装。袖がかなりスリムになっています。 この後も近年にかけて見頃もどんどんスリムに。衿の高さや衿のあるなしも洋服のように流行があったようです。パンツの幅も流行があるようです。 現在のサイゴン中央郵便局では、局員さんの着ているアオザイ制服でも、立ち衿のあるものとラウンドネックになっている形があります。どうしてかなと思っていましたが、ただのデザインの違いということですね。 一口にアオザイといっても、衿の形を変えたりフリルをつけたもの、カフス袖やラグラン袖にしたもの、打ち合わせの形を変えたもの、素材で変化をつけたものなど、さまざまなデザインがあることを知りました。 西洋の流行を取り入れてシルエットが変化していったことや、アオザイという限られたスタイルの中で個性を出そうとしていたことが、この流れからわかりました。それぞれの時代を代表する形はあっても、「これが正統派の絶対的なアオザイ」というものはないのだな、ということなのだと思います。 保存のため仕方ないのですが、室内は非常に暗く、ショーケースの位置も高くて細部がとても見づらい展示でした。脚立でもなければ、衿のあたりなんて見えません。そこが残念な展示でした。 .. さて、次はさらに寂しい染めと手織り展示室へ。 染め材料が行李のようなカゴにざっくり入っていました。20年くらいこのまま放置されていそうな適当さ(このカゴも位置が高くて写真にすべておさまらず)。 下の丸いカゴに入っているのは、カシューナッツのオイル。黄色を染めるそうです。 下の黒い丸いものは、MAC NUA とあります。「マクルア」とタイで呼ばれるタイ黒檀と同じですね、きっと。 タンニンを利用して染めるため、発酵させたタイ黒檀を絞った液に布を浸け、日光に当てて染めます。柿渋染と同じ。それが下の再現シーン(説明が何もないので、これを見ても??と思う訪問者も多いのでは?)。 この衣と染織りフロアの他には、戦時中活躍した女性兵士や武器の展示、政治犯の写真、牢獄の様子や写真など、一人で見ているとだんだん気が滅入ってくる展示が盛りだくさんでした。ただ、こうやって大きな館のスペースを割いて、女性の活躍にスポットを当てているところは、さすがベトナム、社会主義の国ですね! ハノイにある女性博物館の方が、展示物も多く見応えもあります。アオザイにとくに興味がある方以外は、ハノイの方をおすすめいたします!

帰りました

帰りました

藍染布をかかえてバンコクへ無事に帰ってきました。 プロペラ機がバンコクに近づくに連れ、スモッグがだんだん濃くなるのがわかりました。灰色の煙の中に突っ込むようにして、バンコクの空港へ到着。 朗らかな東北の人とうってかわって、人の顔から笑顔が消えているのを感じます。都会に生きるバンコクに住む人達の、厳しい生活を思わせました(東北出身の人も多いのですが)。 … 今回の訪問では友達のファームへの訪問は叶いませんでしたが、別の友達の工房の写真をもらってきたのでここに載せますね(藍染の写真下4枚)。 藍草は年間数回収穫するそうです。あたたかいところはやっぱりいいなぁ!こんな風にして糸を染めて彼女が織った藍染綿布を今回少し買ってきました。   東北地方イサーンではクメール遺跡周りに夢中だったこともあるのですが、空気もいいし、ご飯もおいしいし、次回はどこかに少し住んでみるのもいいなと思っています。来年実現させます! … ちなみに、東北のベトナム系移民は、フランスの植民地時代やベトナム戦争時に戦禍を逃れてきた人や、移住してきたカトリック教徒だそうです。対岸のラオスも、メコン川流域にベトナム系が多かったように覚えています。 ちなみにタイの商人はどこも中国系が見られます。下のような漢方薬局も見かけました。タイ語ばかりの表示のなか、漢字をみかけるとなんだかホッとしました。 バンコクに帰るとカフェなんて行っている時間はないのです。恒例の赤いタイティーで一服して帰ってきました(タイティーはバンコクにもあります)。 行き帰りはまたこのツインプロペラ機!帰りのパイロットはとても上手だったので、恐怖で叫ばずにすみました。(写真は東北に着いたときのものです。空気がきれいなので空が青い!) 今週のバンコクは暑さが戻ってきていて、昨日も今日も午前中から33度になる勢い。明日は36度まで上がるようです。 東北地方イサーンもこの時期は朝方寒かった覚えががあるのですが、今回の訪問では昼間は泳ぎたいと思うほど気温が上がりました。日本もあたたかな冬のようですね。今年の冬アジア、こんな調子でどこも暑いのでしょうか?