サイゴン 続き

サイゴン 続き

ベトナムに来るといつも思い出すのは、小学校6年生の時に同じクラスにいた、ベトナム難民の大人びた女の子たち。彼女たちの兄弟姉妹が各学年に散らばっていました。 ベトナムの家族や実家の写真を見せてもらったのですが、それが結構な豪邸。子供心に「裕福な家庭の子供なんだなぁ」と思ったのを覚えています。確か、二人ともベトナムに両親を置いて、兄弟だけで日本に避難していました。 外国に興味深々だった私は、彼女たちと仲良くしていて、うち一人の家にも食事に招待してもらいました。一番上のお兄さんが働いていて、小さな部屋に兄弟みんなで暮らしていました。 その後、二人とも私も引っ越してしまい、それっきり。あれからもう30年以上経ちましたが、祖国に戻ることができたのでしょうか?         ベトナム滞在もここ最近、ぐっと快適になりました。かつては、滞在中ずっと目を三角にしていたのが嘘のよう。 ベトナムのタクシーといえば、改造メーター、意図的に遠回りされたり、よくわからない上乗せ料金を請求されたり(払いませんけどね)で有名でした。私もこれまでの苦い思い出が山盛り。今回はタクシー会社2社を利用しましたが、トラブルなしでとてもスムーズ。運転手さんたちの平均年齢もぐっと若返っていました。世代交代というところでしょうか。 今では安心して乗る事ができるバンコクのタクシーも、かつては同じ手口で悪名高かったそうです。だんだん国民の経済状態がよくなって、外国人をボラなくてもやっていけるようになるんでしょうか。国際基準になっていく過程はどこも似ているのかも知れません。 街には活気があふれ、みんな目をキラキラさせて働いているし、、、。なんだか、どよ〜んとしているバンコクとはかなり違います。日本もうかうかしていると、すぐに追い越されそうです。国として長い長い歴史があり、外国からの侵略と戦い続けてきた国なのですから。若い人口も多いし、どんどん伸びていくでしょうね。 自分の生きている間に、一つの国がこれだけの変貌を遂げる姿をみられるというのも、なんだか感慨深いです。   4歳で滞在した時は「こんなところ(サイゴン)、ぼくのやる事ないよー」と泣いていた息子も、今回の滞在を楽しんだようです。 タイのように、うろうろする犬たちに追いかけられる心配もなし(そんな犬は食べられてしまうんでしょうか)。タイは犬相(人相)の悪い犬がたくさんうろついていて、大の犬好きの私でも、日が落ちてからは道を歩くのが怖いと思うほど。 辛いタイ料理と違って、マイルドなベトナム料理は子供の舌にあっているようです。すべて食事は完食。次回のサイゴン滞在では、料理教室に行きたいと息巻いています。私も行きたいわー。  

サイゴン

サイゴン

所用でサイゴン(ベトナムのホーチミン)に来ています。 気温38度のバンコクから来ると、32度のサイゴンが涼しく感じます。 ここには来るたびに高層ビルが増えています。二年後には地下鉄も開通するそう。この写真のような植民地時代の低層の建物は取り壊されてどんどん少なくなり、街もどんどん変わりますね。 行き交う人々の服装もすっかり今風になり、通りを走る車の数も増え、初めてベトナムに来た十数年前に比べると、別の国にいるような気がします。     街の中、珍しくアオザイ姿の女性がいる!、、、と思ったら、この二人は日本人でした。こちらで仕立てたばかりなのでしょうね。満喫している姿が楽しそうで、なんだかうらやましくなりました。ドーナツ売りの兄さんは、このまま頭にお盆を乗せて去っていきました。   全身スーパーマン(ケープ付き)の服でおしゃれしていた兄弟。母子で記念撮影しているところを横からパチリ。   街中の中高等学校。中庭もあり、とても美しい建物です。こんなところで毎日過ごせるなんて、いいなあ。日本の公立学校なんて、コンクリート造りですもんねぇ。

藍染めの街 その2

藍染めの街 その2

続きです。 宿からでてすぐの通りには、市場がたっています。これも午前中限定の朝市でした。お昼頃になると、みんな蜘蛛の子を散らしたようにいなくなってしまうのです。 糸を紡ぎ、育てた藍で染め、村人みんなで織ったものを持ってきた女性もお店をだしていたのですが、お昼過ぎに通ったときには、もういなくなっていました。残念、、。 昼間暑くなるタイの気候では、このシステム(?)はとても合理的ですね。みんな、一仕事終え、家に帰って休んでいるのでしょうか。 そういえば、前回の滞在では、夜の7時半をすぎて外にでたらすでにシャッター街。食べるところを探すのに苦労しました。(この街では、夜になると妖怪でもでるのかも)。             今回の滞在もあっという間でした。 帰りの飛行機の窓から下をみたら、小さな街の周りに田畑が広がっています。今回知り合った藍の村の人たちは、ここから来ているのかな?あちらの村かな?と思いながら出発。無事にバンコクへ帰ってきました(帰りはジェット機でした!)。 次回はちょっと足を延ばして、藍染めの村へ行ってみるつもりです。

藍染の街 再訪問

藍染の街 再訪問

藍染の街に再び来ています。ちょうど一ヶ月ほど前に来た街です。 バンコクから飛行機で入ったのですが、なんと今回は小さなプロペラ機でした。そのプロペラ機、バスに大きな扇風機がくっついたかのような風体。きっとこの路線は乗客数が少ないのでしょう。機内に入ると、一列4席しかなく、内部もまるでバスのよう。一瞬不安になります。 そういえば、ボーディングゲートで待っている時、2歳にもならないような男の子が走り回っていて、いや〜な予感がしたのです。 案の定、飛行機にのるやいなや、その子が大声でギャンギャン泣き叫んでいました。そうだよね、怖いし、泣きたい気分だよねぇ、私も泣きたいよ〜、、と、かわいそうに思ったのですが、その後すぐ私は熟睡モードに入ったようで、まったく記憶がありません。 それにしても、こんな時、白い目で見たり、苦情を言ったりしないタイの人。お母さんたちにとっては、子育てしやすい環境でしょうねぇ。 着陸直前にもかなり揺れ、となりの席に窮屈そうに座っていた、キチッとスーツを着た大きな体のタイ人男性が、前の座席にしがみついているのを見てしまいました。彼も泣きたい気分だったのかもしれません。なにはともあれ、生身のまま着いてよかったです(前置き長いな)。 ちょうどバンコクも蒸していて雷雨の予報だったところ。到着前にここへも雷雨が来たらしく、空港のまわりは沼と化していました。街中は涼しくてまるで避暑地にきた気分。爽やかさに歌でも歌いたくなります。   一歩バンコクから離れると、やはり別世界です。木造のタイの家が立ち並び、路上にねこや犬がうろうろしていて、人ものんびり。みんな恥ずかしそうにニコッとするのがバンコクの人と違います。タイらしさのまだまだ残る地方都市、やっぱり居心地良しです。     早速でかけ、街をうろうろして、藍染めの手紡ぎ手織りストールをみていたら、おしゃれなタイ人カップルが。旦那さんが、買ったばかりらしいストールをしていたので、どこで買ったのか聞いてみました。ついでに立ち話。二人ともバンコクから来ているとのこと。奥さんがアーストーンで非常に控えめな色合いの織りのサロンスカートをはいていたので、そちらも聞いてみれば北タイで買ったとのこと。 タイにはまだ探せばあるんですね、そんなすてきな織りの布が。街の名前も聞いてきたので、ぜひ次回行ってみなければ。   布やマッドミー(イカット)のパーシン(サロンスカート)を買おうと思っていたのですが、今回はストールばかりになりました。昨日も今日も、紙袋をたくさんぶら下げて、遭難しそうになって宿にたどり着きました。 前回シンプルな藍のスカーフを扱っていた男装の麗人もいなかったし、カゴ売りのおばちゃんもいませんでしたが、織りの先生に話を聞いたり、家族で藍を栽培して織っている若い女の子に話を聞いたり、学ぶことも出会いもありました。 それにしても、このストールたちの柔らかさ。綿をふっくら紡いであるので、まるでカシミアのような手触りのものもあります。ひとつひとつ織りの具合もまちまちなので、直接見て選んでいただいたほうがいいかな、、。春と秋の展示に持っていきますね。   3/5追記:タイティーやラオスティーが赤いのは、キュアリングと呼ばれれる加工処理の後に、タマリンドの種を加えるためだそうです。タマリンドは、トムヤムクンに入っている酸味のある豆です。東南アジアでは藍染にも使われています。   遅めのお昼ご飯。オムレツを頼んだのですが通じなかったよう←でもそんなのどうでも気にしません。自分で作った空芯菜炒めよりも30倍おいしくてワナワナと感動。おじさんに「美味しかった!」と伝えると、ニコニコしながら「そうか!ところで、君はフィリピン人?」と返されました。   日が暮れると空気も冷たく、フェイクファーのジャケットを着ている若い女の子たちをお寺の周りで見かけました。フェイクファー、流行っているの?私もジャケットを持って来ればよかったと思いましたが、さすがにファーコートはね、、。タイの人の体感温度がまったく違うことをこんなとき思います。

藍染めの街

藍染めの街

バンコクへ帰りがてら、藍染めの街を通ってきました。 下調べしておいた、藍染めや織りをしている郊外の村へ行ってみたかったのですが、車をチャーターできるかホテルで聞いてみても、手応えのないフニャフニャの答えに出鼻をくじかれます。 時間もないし、(旅行も終盤で疲れていたし)、それなら布だけでも少し手に入らないか、、、と思い、クラフトを扱っているOTOP(一村一製品運動)のショールームへ行ってみるも、中は夜逃げでもしたかのようにがらんどう。 が、たまたまその隣にあった商工会議所のお姉さんに思い切って聞いてみると、なんと日本語のできる友達に電話をかけてくれたのです。聞けば、藍染めのお店が並ぶ通りがあるというではありませんか。タイ語ができなくても、あたって砕けてみるものですねぇ。                 体調不良で始まり、実りのないかに見えた今回の旅も、藍染め布やストールを手に入れることができ、よいシメとなりました。次回は買う気でスーツケースを持って出直します。

ターケークにて

ターケークにて

インドシナ時代の建物といくつかの洞窟以外は、何もないターケーク。 夫が息子を洞窟探検へ連れて行ってくれている間、私は街歩きを。といっても、メインストリートが2本しかないので、街歩きも1時間弱で終了。建物の色や朽ち具合がいいですねぇ。 街を歩いていると、見覚えのある観光客の顔をあちこちで見ることになります。タイとラオスの国境を渡った時にバスに置いていかれたメンバーのひとり、オランダ人のおじさん(ドイツ人だと思った)とは、ここでも1日に数回ばったり会いました。それだけ街が小さいということでしょう。 細長い国を旅していると、ルートが北上か南下しかないため、他の旅行者と行く先々で会うことがよくあります。観光客の出没するところというのは、結局どこでも似通っているものなのですね。             明日はラオスを離れ、タイとの国境を渡る予定です。 保存保存

オリオン座

オリオン座

タイに戻る予定を変更して、もう少しラオスにいることに。 のんびりしたラオスにいると、時間が過ぎるのを忘れてしまいます。サバナケットはラオス第二の規模の都市だというのに、大通りも車は少なく、野良犬やヤギがうろつき、小さな市街地のすぐ後ろには、舗装されていない道が広がっています。日本の昭和50年代くらいの感じでしょうか? 空気もきれいで光害もないため、星がとてもよく見えました。手持ちの小さなカメラで撮ったのがこの一枚。オリオン座のベルト(三ツ星)も剣もよく見えます。 さて、滞在中にタイ領事館での用事も済ませ、今朝サバナケットを出てきました。 バスで街を出ると、トヨタやニコンの工場、セメントプラントや日系のペンキ工場などの横を通り過ぎました。タイや中国での人件費高騰にともなって、ラオスに工場が来ているようですね。雇用ができるのは、地元の人にとってはよいのでしょうが、このきれいな空気が変わっていくのも時間の問題かもしれません。

サバナケットにて

サバナケットにて

実は、バンコクを出てくる時に少々体調を崩していたので、サバナケットヘ来てから、宿でじっと静かにしていました。役に立たない私の代わりに、毎日夫が息子を外へ連れ出してくれたので、とても助かりました。 そんな訳で、今回は、布探しはおろか、籠探しもコーヒー探しもできなかったのです。でも、またラオスへ来ればいいかということで自分を納得させます。 夕方、博物館へ行き、街並みを眺めながらブラブラ帰ってきました。車もあまり通っていないし、のんびりしていていい街です。           そういえば、ここは国境の街だけあって、タイバーツも買い物に使えるのです。 昨日は水を買いに小間物屋さんへ寄りました。たまたま店番をしていただけおばあちゃんが、私が出した100バーツのお釣りの計算に困っているところ、孫らしい10歳くらいの男の子が来て、「一本21バーツが三本、、、」とブツブツ言って計算しながら、手際よくキップでお釣りをそろえてくれました。あとで夫が計算してみたら「ぴったりあってる」と。 国境の街では、みんなこうやって二つ以上の通貨を使う技術(というのでしょうか?)ができるんでしょうね。ラオスキップはゼロが多いし、計算のできる人が多いに違いありません。息子もあのくらいパッパと算数ができるようになってほしいものです。 名残惜しいですが、明日、タイへ帰ります。

南ラオスから

南ラオスから

南ラオスのサバナケットという街へ来ています。メコン川の対岸にタイが見えます。   バンコクから飛行機でタイの東北地方まで飛んでから、バス2台と乗り合いトラックを乗り継いできました。 この辺りでバスに乗るとロクなことにならないのはいつものこと。出発時刻から2時間待ってやっと出た国境越えバス。私たち外国人がラオス入国手続きに手間取っていると、そのバスはさっさと先に行ってしまったのです(普通は乗客が全部揃うまで待っている)。同じバスに乗ってきたドイツ人のおじさん達も置いていかれ、荷物もバスに乗せたままだったそう。急いでトラックに乗ってバス停に駆けつけるも、こんな時、苦情を言っても暖簾に腕押しです。   サバナケットは、ベトナム〜ラオス〜タイと道路がつながっているので、ベトナム系住人の多いこと。去年行った、南ラオスのパクセと同じく、ボラベン高原で栽培されているおいしいコーヒーも飲めます。 道を歩いていると、みんなニコニコして挨拶してくれるのが新鮮です。ラオス北のルアンナムターを思い出します。ニコリともしないバンコクっ子と全然違うんだぁ、、。  

リトル・インディアにて

リトル・インディアにて

よいお年を!   年末だというのに、バンコクはそんな雰囲気ゼロです。家族連れの外国人をよく見かけるので、ああ、そういえばクリスマス休暇?というくらい。おせちもないし、なんだかあっけない年越しになりそうです。 さてみなさま、大掃除に買い出しに年賀状書きに、きっとお忙しい年末をおすごしのことと思います。今年も一年おつきあいくださり、どうもありがとうございました。よいお年をお迎えくださいね。来年もみなさまがご健康でお幸せな一年でありますよう、お祈りいたします!   ・・・・ 人台   日本から送ってもらった人台を、昨日は大急ぎで受け取りに行ってきました。 郊外にあるEMSセンターまでタクシーで向かい、パスポートのコピーを提出してから、番号を呼ばれるまで待機。柵で仕切ってある検査室は、ものものしい雰囲気でした。 申告物や送付方法によって関税率が決められているようで、ここで検査官は私の人台をチェックして関税率を調べ、計算で提示された額を払って、ようやく人台を受け取ることができました。 日本でインドのカディコットンを受け取った時、この何十倍もの関税を払ったのです。同じことが起きずによかった。胸をなでおろしました。 そういえば、箱から出された誰かのフライパンをゴンゴン叩いてチェックしている検査官もいました。EMSで送られたもの、または怪しいものはこのセンターに集められ、受取人が出向かないとならないようですね。 人台なんて送る人がほかにもいるのかな?国によって制度がちがうでしょうが、個人の荷物ごときで中身の説明をしに行かけらばならないとは、、こんなのは初めてです。   ・・・・・・・ リトルインディアにて   さて、今日は買い出しにリトルインディアまで行ってきました。 ペナンのリトルインディアに比べると、かなり小さな規模ですが、基本的なものは揃っています。お茶2種類とお茶請け、スパイスなどを買って、お昼ご飯にマサラ・ドーサとラドゥ(お菓子)を。タイ料理はおいしいけれど、たまには目先の変わったものを食べるのもいいものです。 布市場も見たかったのですが、今日のところはあきらめ。この後はとなりのチャイナタウンに向かいます。チャイナタウンはまた次回載せますね。