トレーニングのために、息子を松本のジムへ定期的に連れて行っています。

待ち時間には、ジムで読書やパソコンを開いて待っていることもあります。外を快適に歩ける気候になってきたので、先日は博物館へ行ってきました。「松本市歴史の里」です(先週のことです)。

松本城の近くにあった裁判所や、野麦峠にあった宿などが敷地内に移築されています。

裁判所は、取り壊しが決まっていたものの、松本市民の反対運動があり移築が決まったそう(コストの4割を松本市民が負担したそうですよ)。広々とした明るい建物。来場者もおらず、ゆっくりみることができました。

昔の木造の学校の校舎のようですが、りっぱな玄関と高い天井はさすがに威厳があります。その天井の幾何学模様のような木の細工もすばらしい。

朱色の床は、天然の材料で作ったリノリウム。松脂や亜麻仁油(リネンのタネの油)などからできています。歩くとしっとり柔らかい。リノリウムの「リノ」は、材料の亜麻(リネン)のこと。リノリウムが天然素材とは知りませんでした!

付属の館では、草木染めや裂織り、みすず細工のワークショップも時々開催されています。

みすず細工とは、すず竹(篠竹)使って編まれた生活用品。かつては松本の伝統工芸でした(松本のみすず細工については、下の<追記>をご覧ください)。

こちらの博物館には「歴史の里みすず細工の会」のみなさん制作のざるなどがありました。

いっときは絶えてしまった松本みすず細工。こうして有志のみなさんの力で少しずつ復活し、形になってふたたび世に出されるとは夢のようです。

私が頂いてきたのはこちらのざる。戸隠の根曲り竹のものと比べても、とても柔らかな優しい顔をしたざるです。

機械から押し出されたみな同じ形のプラスチックではなく、このように人の手の感じられるものが身の回りにあると安心します。人がひとりひとり違うように、手で作られたものはみんな違う顔をしているのです。

軽い果物や野菜を置いたり、蒸し物を食卓へあげるのになど、毎日の生活でたくさん使いたいと思います。

<追記>松本のみすず細工は、江戸時代にはすでに松本の名産として紹介されていたそうです。国内でも行李やびくなど広く流通しており、明治には外国への輸出をするほどだったよう。それが明治40年に3万個作られていたのが、大正元年には8千個まで減少し、衰退していったとのことです。材料が地元で調達できなくなると価格が上がり、国内競争に勝てなくなったそう。

昭和23年柳光悦の「手仕事の日本」出版にはじまる民藝ブームでふたたび注目されるも、昭和の終わり近くには絶滅寸前になっていたそうです。(プラスチックの手軽さには勝てなかったのですね・・)

松本で最後のみすず細工の職人さんが2009年に亡くなったあと、松本市の後援のもと、みすず細工復活事業が2011年に立ち上がりました。この「みすず細工復活プロジェクト」さんたちの作品は、松本市立博物館に置かれているそうです(松本民芸館でも目撃しました)。